淳真ものがたり

淳真ものがたり

理想のそばを求めて3年6カ月。そばが大好きで、日本中を旅した。(釣りバカ日誌のハマちゃんのように・・・)

運命の出逢いは、たまたまだった。偶然通りかかった1つの看板、北海道士別市多寄町の「そば粉」に惚れこんでしまい・・・とにかく通った。それが、のちの師匠となる笠羽父さんの「笠羽そば農園」だ。「弟子はとらない」と断られたけれど、通い続けた。士別市多寄町に移住。農園に弟子入り。作物を育てる農業に明け暮れた。

店長


2008年:店名を決める(まだ店も無いのに)
将来開くそば屋の店名を「淳真」と決めた。
「淳司の”淳”&妻真由美の”真”」なのか、「淳司が”真”の蕎麦を追求したいから」なのかは、ご想像におまかせ。

2009年:店をもらう(やっと開店)
地元たよろ町には、蕎麦生産をしているものの蕎麦屋がなく、多寄産そば粉を使った「たよろそば屋」を多寄町にどうしても作りたかった。そんな時、そば仲間のお父さんが、蕎麦が大好きで自ら長年かけてそば屋風に改築してきた場所の1階をいただいた。2階は、そば打ち仲間チームSTAP!(細胞じゃないよ、笑)が使える蕎麦打ち場。そば打ち仲間の皆さんのお陰で、実現した「たよろ蕎麦屋」、それが淳真だ。

2010年:予想外に客無
多寄町のそばが大好きでこの地に店を開いたものの、ビックリするくらいお客さんが来なかった。(しかも蕎麦仲間は皆そばを打てる。そして自分で打ったそばがやっぱり1番うまい!)当時は「ソバ」の事しか考えられなくて、店の看板を作るのを忘れていた。また、旧信用金庫の建物なので蕎麦屋にも見えなかったみたいで・・・誰にも気づいてもらえなかった。満足いく蕎麦が打てず、閉店にした日も多々。「今日はお客さん来たの?」という家族での何気ない会話も、冗談になら無くなっていった。そば打ちは楽しいけれど、自宅では毎朝毎晩、残ったそば三昧の食事だった。

2011年:真冬は冬眠状態
夏場は、お客さんが来てくれ嬉しかった。
でもー30℃になる冬場は、吹雪くと、誰も来ない日も少なくなかったが、徐々に通ってくれる常連さんが増えていき嬉しかった。

お祭りにて

2012年:ネットに挑戦
時代はネット!ホームページを始めてみた。多寄のそばを、日本全国の沢山の人に食べてもらいたいと思いだけで。
けれど、PCや携帯、メール、フェイスブックなどがさっぱり分からず相当参った。出来るのは電話とFAXだけ。山ほど失敗した、笑!変なメールも沢山送った。そして、やっと店に看板が無くて、そば屋だと誰にも分からないらしい・・・ということを知った。

2013年:製粉所をもらう
突然、自家製粉工場を設立!師匠の笠羽製粉工場を受け継ぐ形で、全てのノウハウを教えていただいた。場所も施設も移したが、自家製粉所の名前は「笠羽製粉工場」を継承。

2014年:スタッフできる
お店や製粉を一人で切り盛りする日が続いていたら・・・気づくとお店で自然と手伝ってくれる人達がいた。そこで、お願いしてスタッフになってもらった。一人また一人と、淳真を支えてくれる5名のスタッフができた。自分一人で始めたお店だったが、助けてくれる皆様のお陰様。

2015年:そば農園はじめる
どんどん、こだわりのそばを求めたら、どうしても自分で栽培したくなった。
新規就農!そば農家始めましたっ!小さなそばの芽が出てきたときが第一の感動、緑のそばの実が付いたときに第二の感動、そばの刈り取りをしているときに第三の感動。

お祭りにて

(目標)将来それよりもーーっと、美味しいそばを作りたいので、自家乾燥施設をつくりたい




そばを食べに来てくれる人。
そば粉を買ってくれる人。
畑を耕してくれる人。
種をまいてくれるひと。
刈り取ってくれる人。などなど……
たくさんの人に助けてもらっています
ありがとうございます。

最後に。

多寄町のみなさん

ここまで来るのに、本当に沢山の方々にお世話になっています。
本当に感謝しています。これからも『美味しいそばをつくる』挑戦し続けます。
楽しみです!多くの人にたよろそばを食べてもらいたい!です。
店主 山崎淳司